Report

— 過去に撮影した作品の取材レポート。撮影時の舞台裏を、約2週間間隔でほのぼの更新。

レポート97
10 Nov 2022更新

2001年11月7日 撮影・「奥穂高岳」


 今年も双六小屋グループの新しい動画を作らせていただいておりまして、最近ようやく編集の方が終わりました。何本かあって、すべて種類がバラバラの内容なのでなかなか格闘してしまいました。作品PVもあり、ルードガイドもあり、ドキュメンタリもありでなかなかテンションを保つのが難しかったり。次はここからBGMの方を作っていくんですが、、、相変わらず何屋だか分からなくなってくるところ、自分でもよく意味がわからなくなってくるところがアレですが、ともかくなるべく早めに仕上げまして早々にお披露目できるように頑張ります。全部一気に、といきたいところですがBGMが一気にできるわけでもないし、どうしようか。まあ頑張ろう。もう少し雪が積もったら年内にどこぞの山に撮影に入りたいところですが、果たして行けるかどうか。曲作ってると完全にインドア人間と化してしまうので、モチベーションというかモードというか、とりあえずなんとか上手く運んでいきたいです。
 それはそうと別の動画をアップ致しましたので、ぜひ見ていただけましたら。撮影は昨年のものなのですが、南アルプスは秋の椹島の動画でございます。特殊東海製紙グループの会社の動画でして、まあこちらも今後増やしていけましたら。南アルプスも私のホームでありますので、特に夏を中心に動画を撮っていきたいと思っております。今回は椹島ですけれど紅葉は本当にきれいな場所で、鳥森山と混ぜればなかなか気持ちの良いハイキングが楽しめます。二軒まで足を延ばせたら最高ですが何せ山奥の奥の奥の奥ですから、椹島だけでも十分と言えるかも。やはり牛首から見る赤石岳は絵になりますし、小屋の部屋は個室でエアコンついてるし、のんびりできるいいところです。ものぐさですみませんが久しぶりにNews欄を更新しましたので、そちらのリンクから飛んでくださいませ。BGMも無駄に作曲編曲しております。椹島の紅葉は毎年10月末〜11月頭、ぜひ小旅行と思って足を運んでくださいませ。山の上ももちろんいいんですけど、南アルプスの椹島といい、双六のわさび平といい、こういうところすごく好きなんですよね。これといってキャンパーが多くいるわけでもなく、静かな山の中、焦らずのんびりで登るだけが能じゃないという大人らしい時間の使い方ができると思うんですが、、、やっぱり皆さん登りたいのかな。そのうちなんかこういう場所でご一緒できたらと思います。殺伐とした9月末〜10月の紅葉ベスト時期とも被らないですし!山の上に行くとやはり忙しいならなぁ。
 さて、今回の写真ですが、、、やたらと古いお話でございます。もうかれこれ21年も経つのかぁ。。。ふむう、何とも時が経つのは早いものでありますと同時に年とったのね、、、と嫌な気持ちにもなるものです。しかしながらこの時のことは非常に印象強く、いつでもなぜか頭の片隅にあったりして、おそらく生きていた中で一番楽しかったのかもしれない、なんて思ったりするわけです。まあ若かったからきっと何でも印象的で新鮮だったんでしょう。その「新鮮さ」というのは本当に初期の頃だけ楽しめるものだし、経験が浅いからこそ味わえる瞬間でありまして、未熟でありながらも最高の瞬間、そして低レベルでありながらも越えることのできない思い出、なわけであります。皆様もおそらく何らかのそういう経験、思い出をお持ちでしょうし、私にとってはこのときがそのとき、であったと思います。なわけでとにかく写真の枚数も劇的に少ないので今回は想像でお楽しみ下さいませ。まあ私も印象強かったこととは言えそれは核の感情的なところであって、細かいディテールはだいぶ忘れてしまっているだろうから、あまり膨らまないだろうと予測しておく!
 時は2001年11月4日、今は亡き夜行電車・急行アルプスで深夜に新宿を出発しました。カメラはペンタの67、フジの69と617と3台、それに加えて幕営道具やら食料やら冬装備やらでかなりの重量、若い頃は(今も?)かなりのものぐさでなるだけ重くならないようプラブーツを履いたまま自宅を出てきたわけだが、非常に歩きにくいプラブーツ、新宿に着くまでに汗だくで疲れ切ってしまいました。時折振り返ってこのときの姿を思い浮かべますが、20年前だから許されるものの、今だったら奇異の目で見られるかもしれない。いや、20年前でも許されてはいなかったか?ともかく20年前は山に行く若者というものがほぼおりませんでしたので、まあ一人くらいはもの珍しい感じで逆に目立たなかった、というところです。今はそこそこいるでしょうから、何というかやたらと目について迷惑がられるところがあるかもしれません。
 ともあれガラガラの急行アルプスに乗りましてですね、微妙な睡眠状態で松本へ。ほぼ0時に出発しますが松本ですから4時くらいには到着してしまいます。たしか松本に着いてから2時間くらい、改札前のベンチでずっとうたた寝していたような。。。この頃の松本駅はたしかまだ自動改札でもなく、もちろんスタバなんかもなく、改札出たら目の前の広いところにやたらベンチが並んでいたような。。。そんな記憶。なので6時くらいまでそこで電車を待っていたか、バスだったか、そこの記憶は曖昧だが、だいぶ時間を潰してから上高地へと向かいました。
 沢渡でバスを乗り換えたか乗り換えていないかは定かではない。ただよく覚えているのは、うつらうつらと半分寝てた私でしたが、大正池あたりでふと景色が開けたときに目に飛びこんできた白く輝く穂高に驚き心を奪われ、一気に目が覚めたことでございます。な、なんだあれはぁ〜!!って感じでした。そのくらい雪で輝いていた穂高が綺麗でございました。
 そんなワクワクドキドキ状態で上高地を出発したわけなんですけど、荷物がなんとも重すぎて足取りは非常に重かったです。30分に1回は休んでいたような気がしますし、正直これ辿り着けるのかなぁと不安だったり。若かったけど、今よりも経験はずっとありませんでしたので、精神的には結構やられるわけです。それでもなんとかエッチラオッチラと進みましてようやく横尾本谷へと入り込んで行ったのでした。上高地では晴れておりましたが天気は次第に下り坂、本谷橋を渡るところあたりでは小雨が降っていた記憶があります。
 徳沢を過ぎてからほとんど人と合わなかったんですが、本谷橋を過ぎて樹林帯を登っているときに20歳くらい上の登山者がいて話しかけられました。
「ずいぶん重そうな荷物だね」「上まで行くの?」と。
「はい、奥穂まで。」
 その人は涸沢で帰るようだったが、確かこの日が宿泊の最終日だったかな。なんてことない会話をしながら少し一緒に歩いておりました。
「写真が目当てなんだ?」と言われ
「ええ、山岳写真家を目指してるんです。ただ、ほとんどお金にならないみたいですけど」と返したところ、
「でも、やり甲斐はあるよね。」と。
 今でも、そう言われたことをよく思い返す。やり甲斐がありそうな仕事に見られているならそれはそれでまあ嬉しいところもありますけど、果たしてやり甲斐ってあるのかな、と。もちろん自分が一番やりたいことを夢中でできるのは幸せだし充足もしますが、自分だけが満足したってやはりある程度仕事として認められなければ客観的に見てコイツ何やってんだ状態ですし、仕事として何とかちゃんとしてきても色々と馬鹿にされたり低く見られたり、いっそ自分の満足のためだけにやりたいと思うことも多々あり、それでも自分に鞭打って社会に認められようとはしているんですが、何とも。やはり社会的に自分が認められることがないとやり甲斐って感じにくいところはあります。でも自分は極論を言えば自分だけのために全精力をつぎ込みたかったりして、外野にイライラしてると本当にやり甲斐って感じないもので。。。自分の人生が閉じるときに「楽しかった。やり甲斐があった。」と思えたら幸せかな、と日々苦しい思いで生活を送っているわけなんですが、来るんでしょうか?そんな日が。
 つまるところ、私は私が、おそらくよくわかっているんです。何を求めているか、何に向かっているか。そんなわかり過ぎてる自分と違うことなく社会に認めてもらうことってまず無理でしょう。なのでいつまでも充足感を感じることなく、さまよい続けるのかもしれません。決して自分を高く見積もり過ぎているわけではなくて。いや、見積もりでいったら自慢できるほど低いぞ。でもとにかく、あのとき言われたことは事あるごとに思い出しますし、どこかで自分の支えにもなっているかと。決してやり甲斐のためにやっているわけではないですが、いつか少しでも感じられたらきっと嬉しいんだろう。そんな私の口癖は「報われねーなー!」でございます!
 とりあえず小雨のままでしたが、涸沢に着く頃にはみぞれっぽい雪になっておりました。ヒュッテでは「今日で終わりだからテントはタダでい〜よ〜」と言ってくれたので一人ひっそりとテントを張り、涸沢小屋の方に水を取りに行って万全の体制。あとはゆっくりするだけです。しかし一日重かったなぁ。。。テントは私のひと張りのみ。静かな涸沢にポツンとひとつ、気持ち良かったり、心細かったり。
 翌日11月6日は朝から雪。ずっと一日中降り続いて、周りも真っ白になっていきました。何するでもなく、ただひたすら時間を潰していたような。昔はスマホなんてないし、ウォークマンですら山には持って行ってなかったし、本とラジオくらいだったか。買ったばかりのやたら分厚いシュラフにくるまって、暇だったなぁ。。。と言ってもこの時期はすぐに日が暮れるので、面倒なので夕食も早く済ませて午後4時くらいにはとにかく寝てしまったような気がします。とにかく長く寝られて幸せだった!若かった! 
 11月7日、テントから顔を出すと雲ひとつないスッキリ快晴。しかし、キンキンに冷えて寒すぎる。なんせこのときはダウンも持っていないしセーターもアクリルですから、動いてないと本当に苦しいほど寒い。でもなんとかテントから出て、足踏みしながら撮影。朝日とともに涸沢岳を中心に真っ赤に染まっていきましたが、影ひとつないべったり光、どことなくつまらない絵でありました。近くで一人、4×5で撮っておられる人がおりましたが、それ以外はほぼ無人の世界。もちろん小屋閉めの方はおりましたけども。朝一番は天候に恵まれたものの自分としては何かつまらない絵しか撮れず、やや消化不良でした。まあこれから上に上がっていきますから、ここからが勝負でしょう。涸沢にテントを残置し、荷物をまとめて稜線を目指します。
 ぼちぼち積もっていましたが、見る限り岩もまだボコボコ顔を出しておりましたのでザイテングラート取り付きを目指して直進するのはやめました。もうちょっと真っ白ならそれでもいいけど、どうも岩の間に足がハマりそう。いや本当は直進を目指したんですがすぐに断念したわけです、足が岩にハマったので。なので涸沢小屋経由で向かいましたが、取り付きまで結構苦しんだ思い出が。。。標高を上げれば上げるほど雪は深くなる。多いところでつぼ足で膝上くらいはあったかなぁ。ワカン持って来ればよかったと何度も思いましたが、これくらいなら頑張れないこともない。しかしこの、真っ白な涸沢を見下ろす景色は本当に素晴らしい。
 ザイテン取り付きからはすこしずつ写真を撮りながら登っていきます。少し影がついて、涸沢岳も斜度があって格好いいし、奥穂側の岩壁も素晴らしい。稜線を見上げると何やら風が強いらしく、雪煙が舞っているのも素晴らしい。テントを置いてきたとは言ってもまだまだ重いのでかなりきつかったですが、あともうちょっと、あともうちょっとと思いながらもなかなか辿り着かない稜線は厳しかった。それでも万年鼻づまりの私、冷え切った空気が鼻を通りぬける感覚が気持ちよくテンションは上がる一方です。汗だくで何とか穂高岳山荘が目前に迫りますが、小屋が見えてからの雪が濃くて、場所によっては腰くらい。小屋が見えてから辿り着かないというのはいつものことであります。
 稜線に到着してすぐ冬期小屋に入り、なぜか水を作り始めたのをよく覚えております。小屋に着いたのはおそらく午後2時くらいだと思いますが、体も疲れきってしまいすぐに奥穂へ登ろうと切り替えられなかったのと、やはり防寒装備が弱いので長時間山頂付近で撮影してたらおかしくなりそうと思い、撮影は夕方一発勝負に賭け、時間を見計らって山頂へ向かうことにしたのです。このときを思い返すと本当になんて勿体無いことしたのかとよく自分を責めたりします。水なんか夜作ればいいし、早めに登ってもっといろいろ撮れただろうに、と。何でしょうね、やはりまだ経験不足だったのでしょう。登ってくるまでに疲れきってしまい、少し怖いところもあったかもしれない。夕方一発撮れればいい、それに集中しよう、なんて思っていたわけなんですが、やっぱりもっと撮れたよなぁ。。。なんて未熟。
 だいぶ西日になってきまして(水もしっかり2L作ったことだし!)、体の疲れも少し落ち着きましたので山頂へと向かいました。結構吹き溜まりは雪が積もってて急斜面もなかなかでしたが、あまり怖い思い出はない。当時はこのくらいならヘルメットなんてかぶらず登ってましたが、今だったら怒られるんでしょうか。傾斜が緩くなり、山頂が見える稜線に出てあともう少し、なんですがかなり赤く染まってきてしまったので慌てて途中で三脚をセット致しました。当時はフィルムですからしっかり撮れているかなんて後にならないとわからないのですが、まあ撮れてるんでしょう。カメラを変えたりして何カットか撮影して、気がつくともう日没を迎えておりました。今だったらここから薄暮の写真を、むしろこちらがメインとばかりに撮るんでしょうけど、甘いなぁ、ガッツリ赤く染まった写真を撮ったら満足してしまいました。
 翌8日の朝は涸沢岳で撮影、そこそこ染まりましたけど昨日の夕方ほどの空気の澄み具合ではなかった。どことなく靄っているというか。風は結構強かった記憶がある。朝の撮影を終え、小屋に降りてきたときには高曇りのような寒々しい空になっておりました。涸沢を見下ろすと真っ白なカールにポツンと自分のテントがちゃんと残っているのが確認できました。荷物をまとめ、8時半ごろには下り始めてこの日は横尾で泊まる予定です。下り始めると登りにかかった時間は何だったのかと思うくらい早いスピード、ザイテン取り付きまで一気です。帰りは下りだし、テントめがけてショートカットしましたが、やはり降ったばかりの新雪に加えてゴロ岩の隙間に足を挟み、テントが目前に迫ってからのほうが時間がかかりました。なかなか辿り着かないのね。。。
 テントを回収して荷物をまとめ、雪のない安心安全の世界に下ります。振り返って涸沢カール。空こそ曇り空でしたが、真っ白で広大なカール、小屋閉めも終わり本当に誰一人いない涸沢にポツンと立つ静かな静かな景色は心を揺さぶるものがありました。このときここで写真を撮ったわけではないけど、ただ立っていてとても気持ちが良いものでした。そのときの印象があまりにもよかったのでそのうち形にできたらと、だいぶ年月が経ってからですけど雑誌に載せたり、テレビで扱えたのは本当に嬉しかったのであります。あのときは本当に誰もいなかった。
 ここからはもう特に危ないところもなく、取り扱う話もないはず。次第に道に雪はなくなり、のんびり歩いていればいずれ着くお気楽ウォーキングです。本谷橋に来ると小屋番も全員引き上げたわけですから、橋も外されておりました。うまーく渡渉点を見つけて渡れば、、、って、なかなかいい場所がない。荷物も重いからあまり沢の上に行きたくないし、でも微妙なところが多い。行けないこともなさそうだが、日陰で岩も滑りそうで歩きにくいプラブーツでは転びそうである。もしかして?プラブーツだぞ、踝くらいまでなら水入ってこないだろ!と面倒なのでそのままガッツリ水の中に足を踏み入れました。一歩くらいなら、という考えが甘かった。甘すぎた。というか全然踝くらいじゃなく脛くらいまで使ったわけですね。中の防寒インナーともども思いっきり、思いっきり濡れたのでありました。なのでそこから横尾までがなかなかきつい道のりになってしまい、足は冷たいし、歩くたびに水が「グジャーグジャー」言うし、子供の長靴泥遊びじゃないんだから、、、。歩き方もなんだかおかしくなって、足首に痛みを感じながらなんとか横尾に到着致しました。避難小屋に入り、靴を脱いで乾かしますが、そもそも靴がこれしかないという何たる罰ゲーム。インナーを乾かせば何とかなるかなと思いますが、アウターのプラだけだど歩きにくいのなんの。これ乾かなかったら明日どうやって帰ろうか。濡れたまま帰るのかな。しなしなになった足を見て途方に暮れたのでありました。

シークエルって言うんだっけ?

 最終日は11月9日。そこそこ早めに横尾を出まして上高地に帰ってきました。インナーは寝袋で一緒に寝ていたのでいくらか乾いた感がありましたがやはり微妙に湿っているまま、履くと足が締められる気がして足首を痛みは増すばかり。でも上高地に来てしまえばもう走ることもないだろう。バスに間に合わずに走る、とか、、、ないよね?
 バスターミナルに来ると5人くらいの、これから稜線に登りそうな装備の学生に声をかけられた。雪の量はどうでした?などなど下から見てもそこそこ山が白いのでやはり気になる模様。まあでもこちとら一人で行ってきたんだから、人数いれば多少の雪は大丈夫でしょう。あれから21年、あのときの学生もすっかり中年になっていることでしょう。私はあのときからずっと変わらないことをしていますが、これが正しいのかどうか。人の人生は一度きり、貫くのもいいけれど、他の世界線もあったのだろうかと。やりたいことを実現するのもいいけれど、やれない理想を心にしまって大事にとっておくのもやはり人間らしく、素晴らしいことだと思う。今はSNSとかでみんな中途半端に実現している気がして、それでいいのかと思ったり。やるか、やらないか、極端だけれど、その選択を至るところで常にしてくること、自覚することが、人生という名の足跡なんでしょう。
 バスで新島々の駅まで来て、入浴。今は介護施設となっているが昔は新島々駅の向かいに旅館があり、今でも名残で看板はついたままだったか、帰り際に手軽にお風呂に入ることができた。私の知識不足もあると思うが、昔は上高地で外来入浴しようとすると結構離れたホテルしかなく、なわけで新島々の旅館は結構利用していたのだが、いつだったか2010年くらいに介護施設に変わってしまったのは非常に残念であった。帰りは松本から高速バスで帰ろうと思っていたのだが、電車とバスの間がなかなかタイトで、新島々の窓口で先に高速バスのチケットが買えないか聞いてみた。
「いや、ここでは無理なんですよ。」と駅員さん。
「これ今から電車乗って、松本でチケット買ってから乗るのに間に合います?」と聞くと
「あ〜厳しそうだな〜」「でも、途中の大庭の駅で降りて、松本インターのバス停で乗れば間に合うかもよ。」
「なるほど!何か地図、もらえたりします?」と聞くと、他の駅員さんが最初の駅員さんに向かって、
「お前やめとけよ〜、勧めといて間に合わないかもしれないぞ。。。」と。
「いや、間に合わなかったらそれでいいので、チャレンジさせてください!」と私。
 そう言ってコピーした地図をもらい、電車に乗り込んだのでした。大庭駅から松本インター入口は約10分ほどらしい、が、私は40kgほど担いている。しかし時間は15分ほどあるので見込みはありそうだ。電車の中ではレイ・シールド間で座して集中するクワイ=ガン・ジンのような面持ちでありまして、大庭駅で扉が開くとともに、、、ダッシュであります!このあとダース・モールにやられることを考えるとバスに間に合わないのかもしれないけど、やってみるしかないわけで。う〜ん、2001年というとEP2すらまだやってなかったのかと思うと本当に昔話だな。とにかくのどかな田園風景の道を、高速バス停目指して頑張って走っていきました。荷物もさることながら、足元は、、、プラブーツ!これ、ダッシュしてようやく10分っていうところでしょう。。。走っている自分は一生懸命ですが、傍から見たら何やってるんだあいつ、でしょうね。プラブーツ、大荷物でジョギングしてるんですから。ということで汗だくで、なんとか高速バスに間に合うという奇跡を起こしたのでありました。しかし終わりよければ全て良し、少ないながらも写真も撮れたし、なんだか満足げで新宿へと帰っていったのでありました。
 いくらかシチュエーションは良くて写真は撮れたものの、本当に枚数は少ない。なぜもっと撮らなかったのか、もし当時の自分と話せるのであれば小一時間問い詰めたいところであるが、まあそんなもんなんだろうね。とりあえず自分の中ではパノラマ617サイズで撮った夕方の写真がまあまあ良く撮れたと思ったので、当時アルバイトをしておりました写真屋の壁に大きく引き伸ばして飾らせていただきました。クリスタルプリントという反射率の高い、値段も高いピカピカのプリントである。指紋なんかつけようものなら発狂してしまうほどの輝きペーパーである。原版が6cm×17cm横長のパノラマだから大きいサイズでプリントすると四角いペーパーに対して余黒だらけという、プリントのコスパまで悪いものだが、裏打ちして飾ってみるとまあなかなか見られるものだ。若かったし、バイトの身分でありますから、こうして飾らせてもらえるだけでも当時は本当に嬉しいものでありました。まあそれだけじゃなく、写真そのもの、写真一枚一枚も今みたいにネットに溢れたりしていませんから、価値のあるもの、存在感のあるものでもありました。その写真を見て常連になってくれたお客様もいましたし、それなりに上手く撮れたのよ?
 とある日、休憩から戻ったら飾ってあった写真がなくなっていた。どうしたんだろうと思ったら、元社員の嘱託で働いている方が私の写真を手に持って戻ってきた。
「あれ?どうしたんですか?」
「いやー、今近くで白旗さんが写真展やってるから、見せてきた!」
「はい?」
「ダメだよ、あんた若いんだから!強引に行かないと!」
 ふむう、何たる恐怖。自分では気に入っていても、まだそこの域には達していないとは思うんです。
「いやー、今本人連れてくるって言ったから、ほら、行くよ!」
 促されるまま付いていき、遠くからでもよくわかる白髪パーマの人がそこにおりました。
「先生どうよこれ!この子が撮ったんだけど、見てやってくれませんかい?」
無茶振りすぎて白旗さんも困るでしょ、これ。どんな世界線だよ。

 「ううむ、うん。これはいいよ。」

 「パノラマ構図は難しいからね、このね、槍の位置が」

 「ばっちりここにきてる。」

 と言いながら、思い切りベタッと槍の穂先に指を乗せた。

 

 しゃ、写真に指紋をつけないでくれ〜!!

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