Report

— 過去に撮影した作品の取材レポート。撮影時の舞台裏を、約2週間間隔でほのぼの更新。

レポート15(改訂加筆)
07 Jun 2022更新

2004年7月1日 撮影・「北岳」


 今回は改訂加筆でお許しくださいませ〜。講演の準備をしたり、撮影に行ったり、トレーニングしたりと慌ただしく動いていると、じっとして文字を書くという動作が非常に難しく、まあ言い訳ですが次は書くように致しますのでお慈悲を下され〜、という今日この頃でございます。
 レポートを書かないわりにはちょろちょろと陸上大会に出てはおりまして、なんとか400m51秒台には戻してまいりました。でも最近毎度風が強くて、あまりいいコンディションに恵まれていないです。400mのラスト100mで結構な向かい風を受ける日が多く、なかなか上手くいかないものです。まあそれでも51秒台、風のコンディションと体調が良ければまだまだ50秒台は狙える実感はすごくある感じ。でも一番はその日の体調かなぁ。さすがに45歳近くなってくると頭が重い日が多くて多くて。なんだか眠たい日が多いので困っています。なんかこう、テンションが上がらない日が多いので脳が覚醒しない感じがするんですよ。サンダードルフィンでも乗りに行った方がいいのかな?あれ、最初の落ちるところで一瞬意識が飛ぶのがいいんだよなぁ。。。ってあぶないあぶない。
 テンションが上がらないと言えばガンプラ。本当にもうコロナ騒動が始まってから2年くらい作ってない。というか買えない。転売の嵐で高値すぎて手を出すのがバカらしく、自重していたら2年経ってしまった。あんないくらでもあったものがこんなに手に入らなくなるとは当時は思いもせず。HGですらバカ高い転売値が付いており、どうしたものか。後悔しても何も始まらないが、ホントにケンプファーとジェスタくらいは買っておくんだった。積みプラの重要さがここに来てよくわかりました。さらにこれからは食糧難が待ってるらしいからガンプラはいいとしても食糧はさすがに困りますね。高値でも買わざるを得ないし、奪い合いになってもやだし。まあ、ストイックな性格だけに、いざとなったら最後の最後は即身仏になるのを目指してみるのもいいか!

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 さて、今回の作品ですが、このレポートではお初となるポジフィルム時代からの参戦です。撮影は2004年7月1日。古いですねぇ〜、当時私も26歳という。この年はかなり北岳に入り浸っており、年始、5月、6月、7月は3回、8月、9月、10月2回、そして12月と入っておりました。7〜8月はその間にちょこちょこと北アルプス双六岳、黒部五郎岳、雲の平、槍ヶ岳をはさんでいるので、特に夏はとってもハードなスケジュールでしたね。楽しかった思い出が残っておりますが、今やったらどこかで風邪をひいていること間違いなし。というか100mのタイム、瞬発力が落ちそうなので何戦かは敬遠しているかもしれない。さらには国民の義務ともいえる、RGユニコーンガンダム(※:初掲載時2017年発売)も作らなければいけないことを考えるとなおさらである。
 歳をとって弱くなったか、というとそういう訳でもなくて、100m〜1000mのタイムはこの頃よりもむしろ上がっている。しかしそれはおそらく若いときに本腰を入れて練習してなかっただけで、とくに私のような遅い三流アスリート(三流をアスリートと言っていいのかどうか)はちょっと練習すれば若いときより速くなる、ということは多々あることである。だって基準となるベースが遅いんだから。。。ただ、実感するのは若かった頃は練習でも本数がこなせたのだが、今は速くても本数はも持たない体の感じは凄くする(涙)。しかし、本数が持たなくてもタイムは速いぜ!というのが、まあ、今の自尊心保持には役立っております。。そろそろそういうのも落ちていく歳になるんでしょうね。。。いや、暗く考えてもしょうがない!今年(※:2017年)は200mを23秒0で走れたので、まだまだ、あと何年かはピンポンダッシュしても逃げ切れる!とポジティブに考えるのがいいんでしょう。
 そんな若かりし頃の無尽蔵のパワー、速くなかったけどいくらでも溢れ出るパワー、みたいなのを感じるのが、まさにこのときの撮影でした。このときの取材では6月28日に夜叉神から鳳凰小屋に入り、翌日29日は朝に鳳凰小屋から赤抜沢ノ頭、観音岳、夕方にもう一回。翌日30日は鳳凰小屋を午前5時10分に出発して白鳳峠から広河原に下り、お昼の12時に肩ノ小屋に到着している。トップ写真の撮影が7月1日、というのは例年に比べると花はとんでもなく早咲きで、通常は7月15日〜20日前後が見頃。その先月のキタダケソウも早かったのでこの年はちょっと早回しで行かないと花が終わりそう、と思ったので、新緑の鳳凰三山と花咲く北岳の撮影をくっつけたのをよく覚えている。7月の半ばにまた来たときはすでに晩夏の花が咲いていたので正しい判断だったが、まあ恐ろしい年である。というか正月の雪が少なすぎた年だったんですよね。まあ、だからといって鳳凰と北岳をワンセットで歩くだけならまだしも、短期間で撮影もこなしているのは、若さですねぇ。。。認めたくない若さ故の過ち、というのもありますが、今だと若さにはさすがにかなわない気がします。まあでもやる気が出ると今でもそれなりにこなせてしまうので、経験というのも無駄ではないのかな。
 しかし何といってもまずはそのときの重量。当時はポジフィルムで撮影しておりましたので、持っていっていた機材が今と比べものになりません。お金は軽いですが持っていませんので!、テント泊は原則(まあ、この辺は今も変わらなかったりして)。基本テント装備の上にカメラ機材が乗っかってくるのですが、物好きな私の当時の使用カメラは、フジのGSW690、ペンタックス67とレンズ3本、そしてハイパーメガバズーカランチャーのような機動性ゼロのGX617+W180mmという計3台を詰め込んでいくという。気合いが入っているときはこれに加えて617の広角レンズをもう1本、そしてなぜかフジのTX-1を持っていく。パノラマカメラダブってんじゃねーか、とツッコむ人もいるかと思いますが、パノラマフォーマット好きの私からすると、首にぶらさげたTX-1は617とは機動性が比べものにならないので。。。テント外付け85Lのザックがパンパンになる感じで、夏で35kg〜40kg、冬でそれ以上と、カメラ装備からすると高火力フルアーマーなのだが、いかんせんスラスターがついていないフルアーマーなので俊敏性には疑問が。フィルム時代は撮れる枚数が少ないこともあって結局じっくり撮影が多いので、今ほどの俊敏性は求めていないにしてももうちょっと落とした方が結果が残せたのかもしれない、と今さら思う。
 しかし、当時は「若さ'04」というおよそ50基にも及ぶスラスターを積んでいたこともあり、重量級でありながらも俊敏性も高いという、「ジ・O」なみの動きを見せていたと記憶しています。鳳凰小屋を5時10分に出発、白鳳峠に7時、広河原に8時15分に着いて9時出発、肩ノ小屋に12時着という、撮影メモに書いてある記録がそれを物語っている。微妙に広河原で45分休んでいるのが玄人っぽいが、たしかたまたま肩ノ小屋の森本茂さんと会い、話していた記憶が。そこからは3時間で肩ノ小屋に着いているので、コースタイムで約5時間半、35kg超の荷物を背負って鳳凰から下ってくきた直後にしては、よくやっているほうである。というか写真家なんだから、タイムじゃなくて撮れよ、と言われそうだが、この日6月30日は曇のち雨だったのでお許しください。
 稜線に出た小太郎尾根分岐あたりで降られ、そこからダッシュで肩ノ小屋に向かいました。ここまでハイペースで登ってきていると、テンションも上がってさらにタイムを縮めたくなるんですよね。当時よく肩ノ小屋には出入りしておりまして、到着するとすぐにココアを注文する人、と認識していただいていたので、このときも小屋に着くなり何も言わずにスッとココアを出していただいたのをよく覚えております。そして何も言ってないのにスッと出されたココアのお金をとられるという(笑)。た、頼まないかもしれないじゃないか!いや、この時は体も冷えておりましたので、とてもありがたがったですよ。そしてココアを飲んだら雨の中、テントを立てにいきました。
 翌日7月1日は晴れ。登ったときに下見をしているので、花の咲き具合の確認はばっちり。昨夜のうちに撮影イメージ、計画を立てて、あとは実行していくだけです。当時の私の北岳の撮影はだいたい流れが決まっており、肩にベースを張って、朝日を撮ったら右俣コースで二俣へ下り、左俣を登ってバットレス撮影、山頂経由で肩に戻る、というような感じ。天気がもったときは、八本歯からまた二俣に下って、右俣を再び登って肩に戻ることもありました。
 頃合いの時間に右俣のお花畑に向かい、撮ったのが今回トップの写真です。どうということもない写真、ということもありますが、こう、ただキレイ、という写真だって案外難しく、花の先具合や空の雲具合によって気に入ったり気に入らなかったりがあったりするので、そう楽でもないんです。とくに山岳写真というのはこういう決め写真みたいなのが大事だったりしますので、そういう写真を持っているか持っていないか、は仕事上非常に重要なことです。プラモだって「RX-78」という看板モデルはなくてはならないものであり、「ラオスのけしのバーテンダー」みたいなマニアックなものばかりでは成り立たないんです。この場所からの同じ季節のこの写真というのも実はこの時でもう3回目で、2001年、2002年に撮っておりますが、まあこの年でようやくここはこれで切り上げられるかな、と思いました。01、02は若かったので写真があまり巧くなかった、という線も考えられたりして。

若い頃にはまだ負けません

 7月2日は肩から山頂へ周り、左俣から御池経由で下りました。そういえば御池小屋、この頃はプレハブ仮設小屋でしたね、懐かしい。前年2003年秋に写真を撮りに行ったときになぜか手伝うことになり、なぜか怒られたこともいい思い出です。いや、これといったミスはしてないはずなんですが。
 記録を見ると御池小屋を午前10時50分に下山して、11時35分に広河原に着いているようです。若いです。たしか30歳過ぎたくらいの頃から将来を見据えて膝に負担をかけるのをやめようと思い、無理をしないようにしています。故障はおそらく後から追いかけてくるものでしょうから。その分、余った体力はトラックで走ります。でも、正直それも体に悪いような気がします。何事もやりすぎは禁物です。デジタルに設備を移してからは、サブ機を含めても昔の記憶も手伝って、背中に羽が生えたようですよ。ウエイトトレーニングも重さを上げていっていますし、ステロイド、じゃなかった、プロテインも飲んでおります。
 加筆ですが、2017年のこの記事掲載時は機材は写真機のみ、もちろん写真機でも動画は撮れますから遊び程度にいくらか動画も撮っておりましたが。。。最近は動画にも力を入れておりますから荷物は再びフィルム時代と同じくらいかそれ以上に戻っているような。。。ビデオカメラ、ドローン、ジンバル、充電器具、重〜い雲台、、、100Lのザックにパンパンでテントを入れるスペースがありません。テント泊だと動画はきついなぁ。。。というか小屋で充電できないから、いくらか削げるか。たぶん、ですが正直フィルム時代より重いです。30歳くらいからウエイトトレ始めといて良かった〜と思いますが、45歳が近づくと、一体いつまでこんなことをしたらいんでしょうか、という思いもします。それが最近の悩みです。でもいけるところまで、いってみようではないか。50歳までに100m10秒台、目指してみようではないか。

 でも本当に、当時は若かった。
 あんな荷物を軽々と運んで登って下って。
 山から下りたらまた別の山、と。

 今よりも筋肉も少なかったし細かったので、ちょっと不思議。
 三国志でいうところの、左慈だったんじゃないか?あいつは、と思う次第。

 というと私が運んでいたのは、、、、中身のない温州みかんだったのか?

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