レポート123
08 Apr 2025更新
2018年3月29日 渋沢丘陵

3月に寒の戻りがあったせいか、今年はやや桜の咲きが遅いようであります。いやでも実際はこのくらいが例年並みなのであって、3月末に満開で入学式には散っているという方がおかしいわけでありますが、いつの間にかそっちの方に不思議と馴染んでしまっていて今年は暖かくなるのが遅い!などと文句を言っているのはただのクレーマーなのかもしれない。人間なかなか都合のいい生き物で、間違っていてもすっかり自分のペースだと勘違いしてしまうといつしか権利を主張し出す勝手なものである。
しかしながらそんな人間にも平等に、桜がちょっと遅かろうがなんだろうが、同じペースで花粉症がやってきており、もうここ何週間か苦しめられております。「スギ花粉アレルギーでない人」というのは一体何者なんだろうと思うところだが、頭はボーッとして何も手につかないし、挙句蓄膿の気があるので花粉症からの副鼻腔炎発症からの体調不良というトリプルコンボでここ数日どうにもならない。何とかテンションを上げようと体を動かして100m走ってみるも全力で12秒6という不思議なタイムを叩き出してしまい酷く落ち込み中であります。3月の頭に11秒4で走った記憶があるのだが、頭が動かないとこうも体も動かないのかと実感するわけですが、これ体が元に戻るのかなぁと心配になるところです。山登りは体力を測る場ではないので、やはり山登りがイイね!
さて、今回のレポートですが、やや時期を外してしまいましたが春の渋沢丘陵です。本来は同じくらいの日付でアップしようと思ったのですが、先述の理由により文章が書けなかったのと、まあ実際桜が遅めだからいいよね、、、と思ってしまいやや遅くなりました。
内容は登山ではなくほぼハイキング、というかもはやハイキングでもなくのんびり散歩ではありますが、決して山の上じゃなきゃダメというのではなく色々な写真を撮らなければならないときもあるので、こうしたお散歩撮影もたまにはしております。というか桜と山を撮るときはほぼそんなもんですね。公園から全く動かないときもありますし。山だからといって山上だけが尊いなんてことは決してなく、麓からの山の景色、つまり全部含めて「山」なのでありますから、山の世界観を完成させるには麓の景色も非常に大事であります。
そんなことを言ったりしていますが、だいたいこういう撮影のときは自分の中の気持ちが半分半分に分かれているときが多いです。というのもやっぱりお気楽に撮影できるものですから、こんなことしてたら体が鈍っちゃうんじゃないかとか、楽な上に十分楽しいからこういう撮影を増やしたくなってきちゃうんじゃいかなど、言ってみれば山岳写真というのはどこか体育会系のところがありますから、自分のメンタルコントロールにちょっと疲れたりもします。風景写真と山岳写真をどこかで線引きする必要など全くないと思うのですが、山の上ってやはりそれなりに大変な場所ではありますので、情けなくも人間楽な方に流れがちです。電車で旅しながら、余裕があったらお店でランチして、自分の気に入る写真を撮る、なんて山の上の過酷さに比べると格段に、楽しいことしかないじゃないですか。風景写真も非常に楽しいものでありますから、こればっかりだったら毎度毎度楽しいことだらけだろうなぁ、、、なんて思ったりしてしまうのです。しかぁし、そんな甘いメンタルでは山の上で四季を通して撮影するなんてできないわけでして、何だか引っ張り引っ張られて二重人格になった気持ちになるようなことがあります。まあ最終的には、「私」が心の底から満足するものが「山の写真」なので、どうあれなんであれ、山に行かなくてはならないのですが。
撮影は2018年3月29日、一番の目的は渋沢丘陵の菜の花畑と丹沢の山なみ、であります。以前一度撮ったことあるのですがやはりこの春の時期、やや霞がかってしまい、もうちょっと空気感が良いもので撮り直せたらと思っての再訪です。早朝に自宅を出発して秦野駅に着いたのは朝7時頃、キュッと締まってちょっと肌寒い空気感で良い感じに晴れていましたのでまだ時間的にも余裕もありそうだし、渋沢丘陵までゆっくりと歩いていきました。
駅から離れて見晴らしの良い高台へと少しずつ標高を上げていきます。丘陵に上がる坂の途中にもうちょっとで満開になりそうな桜の木があり、桜と丹沢の組み合わせも中々いいな、などと楽しみながら目的の場所に歩いて行きました。そろそろこの辺りの畑だったかなぁと物色しながら歩いていたのですが、進めど菜の花の咲いている畑はなく、というか菜の花が植えられている畑がなく、気付いたら撮影ポイントを余裕で過ぎておりました。ちょっと待てよお前さん、ってことは今年は植えてないってことかい?
そもそもここの畑はおそらく別に菜の花を植えたくて植えているというわけではなく、何か他のナス科などの畑の連作被害防止で菜の花を植えているんだろうことは大きさからいって想像はしていたのですが、というかアブラナ科だってそれなりに連作障害があると思うので、必ず毎年見られる景色ではないということは覚悟はしていたんですが、、、、それでもちょっと場所を変えたらなんとか撮れる場所に菜の花少しくらいあるだろうと思ったのですが、甘かったようです。せっかくスッキリした空気感だったので、少しでも菜の花があれば、、、と思ったのですが。その先をちょっと進むと小さく菜の花畑はあったのですが、、、山と重ね合わせて撮れる状況にはない模様、早速本日の目的が終わってしまいました。。。しかしながらこの日は実はもうひとつ、ここからしばらく歩いた先の富士見塚というところに行って桜と富士山も撮れればとブランB計画もしていましたので、そっちでお茶を濁すか、ということで気持ちを切り替えました。
せっかく丹沢の眺めは良いのにすることのなくなってしまった渋沢丘陵から桜並木を少し進むと小さな森に囲まれた震生湖に出ます。名前の通り地震で出来た湖というか池で、百年前の関東大震災できた湖なんですが、そういったこともあって水はとくに綺麗というわけではない。が静かな森に囲まれた場所は良い雰囲気で、釣りの人も多くいるし、カワセミを狙ってそうなカメラマンもいる。私はカワセミとかまで撮るタイプではなく、どうしてもその場所その場所の大観、景色を撮ろうとしていまいますから、ちょっと震生湖では食指が動きませんでした。新緑とか紅葉だったら綺麗かもしれない。でも地震でこれだけの池ができるというのもなかなかのものであります。そろそろまた大きな地震が起きるらしいので、どうなるんでしょうね。
ということで長閑な、本当に何もない道をのんびりと歩いて行きます、約7km。暇だな!所々丹沢の山なみが見えるのでどこかでもしかして良いポイントがあるのではと薄ら期待するのですがなかなか厳しかったです。ともあれいつもながら方々でこうのんびり歩いて過ごすことも多いのですが、撮影だけを考えると全く無駄な時間とも思われます。ですがこうして直にその土地の場所を自分のスケールで歩いて土地勘とか地理とかを体で覚えるのは非常に大事だとも思っております。パパッと撮影箇所を移って撮影できればいっぱい色々撮れ高はあるんでしょうが、結局は自分が何を撮りたいか、どう撮りたいか、どう考えて撮ったかとか、そういうものが根本になければ写真もただの商品にしかならないと考えております。そうであればひとつの被写体を撮るのに造詣が深くないと成し得ないですし、山はとくに、その地形や地理が3Dで頭の中に入ってないと導かれるものがないと考えるわけです。え?今はAIで何とでもなるって?でもそれじゃあ自分が楽しくないじゃん!
そんな暇な時間を過ごし、10時ごろに富士見塚に到着致しました。見上げる小高い丘に向かって斜面を菜の花が覆い、その周りを小ぶりながら綺麗な桜が囲んでいる綺麗な場所でした。観光バスが乗りつけるような場所ではなく、人影もまばらなので周りの雰囲気も良い。撮影的には若干の人工物が映り込むだろうが、里の空気感を壊すほどのものでもない。古くは源頼朝がここから富士山を眺めたというが、ほんとかよ。ここじゃなくても見えそうだぞ。しかしそう言われるとそうも思えてくる、気持ちの良い場所である。
涙の新松田
富士見塚の高いところに上がると西に富士山はもちろんのこと、北側には何と菜の花畑越しに丹沢が見えるではないか!菜の花畑の面積も大きいし、渋沢丘陵とはまた違った角度からの山なみの見え方も良い。渋沢丘陵からは大山がおおきく右に目立ち、どちらかというと平面的な山なみの見え方なのだが、こちらは大山が奥になり、山なみもちょっと斜めって少し立体感が出る。素晴らしい。しかし!刻はすでに10時半、20度は優に超えるくらいのぐっと上がった気温が眺めを阻み、ずいぶんともっさりした空気感になってしまっておりました。ちなみに菜の花畑は良いのですが、眼下に結構大きく民家が写り込み、ここまで家が特定できそうだと仕事では大きい写真としては使えなさそうであります。う〜ん、残念。別に丹沢を眺めるだけであればすごく良い場所なのでおすすめではあります。
こういったとき、例えば自身がしゃがんで菜の花で民家を隠す、とか、手前をボカしてうまく切り取るとか色々方法はあると思いますが、実のところそうすればそうするほど、撮影者、カメラマンの姿が見えてしまい、無理くり撮ってる感が強くなったりもします。そういった感じは私はあまり好みではないので、無理やり画を切り取ろうとするのはちょっと下品かな、と。ちょっと残念ではありますが、これはこれで良い景色、ということで次は富士山のほうへと被写体を変えていきました。
先ほど言ったようにずいぶんと気温が上がったもので、富士山の方も少し霞がかった感じではありました。が、くっきりと見え過ぎないのが富士の場合が案外良く、逆に空に浮かび上がるような雰囲気で撮ることができました。くっきりいったらそれはそれで良いですけど、ちょっと幻想的な感じが出ても良い、これは富士山だからこそ為せる業でしょうか。菜の花と桜と空に浮かび上がるような富士山、すごく強いインパクトはないのですが、何となく長閑な雰囲気も相まって自分としてはまあ良い部類に入るかなと思います。富士山もしっかりと雪がついて真っ白で、弱々しいところがなくグッドです。今季2025は富士山の雪が少なかったからもしかして真っ白な山で春を迎えられないのではと危惧しましたが、3月中旬から盛り返した寒気でしっかり白くなりましたね。融けるのは早いかもだけど、桜の時期に真っ白な富士山が見られるのはよかったよかった。
そんなわけで2時間ほど富士見塚で過ごし、ここから約3km、小田急線は新松田駅までとぼとぼと歩いていきました。渋沢丘陵から富士見塚まで、ずいぶんとまるで房総に来たかのような何もない長閑さでしたが(房総に失礼)、ちょっと歩くと林から抜けて東名高速が見え、眼下に広がる大きな街並み、あれ街はこんなに近かったのかと一気に現実に戻されたような感覚でした。たった3km、これだけ世界が変わるのも面白いものです。思えば丹沢も、山に入ればずいぶん山谷深い場所ですが、夜になると夜景が綺麗で街の近さに驚かされたりします。当たり前といえばそのままなのですが、そんな街の喧騒をこの近さ、時間の短さで忘れさせてくれる場所に改めて敬服します。
さて新松田駅、この駅前の景色は何度も丹沢から下りてきて覚えがあるのですが、いつもこの時期だったような気がします。そしていつも苦しい思い出があり、今回もその例にもれませんでした。
なぜか駅前にくると一番酷くなる
涙で前が見えない
鼻が詰まって息ができない
花粉症が酷すぎる
そういえば前回は余りの酷さに
駅前の薬局に寄った気がしてきた
今までの長閑さは一体どこに